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【出たっきり邦人 欧州編】1179 当たり年オランダ

【出たっきり邦人 欧州編】1179 当たり年オランダ

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■□■□■   出たっきり邦人・欧州編・2012・04・27・1179   ■□■□■
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♪ 出たっきり邦人・欧州編に新メンバー登場! ♪

4月30日から、欧州編で新連載がスタートします!!
発信地は、欧州随一の神秘的な魅力にあふれる国、ルーマニア。
首都ブカレスト在住のあーこさんが、日本でもまだよく知られていない、
東欧の国の日常をお届けします。どうぞお楽しみに!!


              ◇◆甲編◇◆

        〓オランダ・アイントホーフェン郊外発〓

           ミナミも、ええよ。その58
              

      (連日配信をさけるため、一日遅れでお届けします)


行くなら今年!2013年オランダ。

今年はまさに、オランダの当たり年です。

様々な記念イベントが、申し合わせたかのように今年に集中しています。
オランダ政府観光局のサイトにも紹介されていますが、http://www.holland.com/jp/tourism/article/amsterdam-2013-jp.htm 
主だったものだけでも、新国王即位、アムステルダム国立美術館グランドオープ
ン、ゴッホ生誕160周年+ゴッホ美術館開館40周年、アムステルダム運河400周
年(運河祭り)、フランス・ハルス美術館開館100周年(ハーレム市)、コンセ
ルトヘボウ125周年と、とにかく見所満載です。

ここでは、そのうち3つについて、日本のメディアでは紹介されていない関連情
報を交えてご紹介しましょう。少し長くなりますが、よろしければおつきあいく
ださい。


■女王の退位、新国王の誕生

あと数日で、4月30日です!また「女王誕生日(Koninginnedag)」が巡ってきま
す。毎年この日は、王室一家と国民がふれあうイベントが開かれ、国中がオレン
ジ一色のお祭り騒ぎになりますが(※)、今年は、非常に特別な、そして順当に
行けば、この先30年近くのお別れとなる、『最後』の女王誕生日です。午前10時
にベアトリクス女王が退位されたのち、午後2時には、アムステルダムのダム広
場にある新教会で新国王の戴冠式、ダム王宮のバルコニーでお披露目が行われま
す。

(※ いつもの女王誕生日のお祭りは、例えばこんな感じ。昨年の様子を1分半
ほどにまとめた楽しい映像です。開いた画面でクッキーをOKしていただくと、
動画が見れます:http://jeugdjournaal.nl/item/368126-beatrix-super-populair.html )

伝統よりも合理性を尊ぶオランダ、とでも申しましょうか、王位は(女)王が存
命のうちに次世代へと継承されます。今年は、オランダ王室(君主制)誕生200
周年でもあり、皇太子夫婦が王と王妃の役割を果たす準備が整ったことから、王
位交代が決まりました。オランダ王室のトップは、これまで3代にわたって女王
だったので、実に123年ぶりの国王の誕生です。

王位交代については、1年以上前から、女王と皇太子夫妻の間で、秘密裏に引き
継ぎが進められていました。それぞれ公式の場でちょっと口を滑らしかけたそう
ですが(笑)、幸いそれに気づく人もなく、退位表明の発表は、75歳の誕生日を
控えた今年1月28日に、女王自身がTVの特別放送を通じて行いました。ある程度
の憶測は飛び交っていたものの、具体的なタイミングを知る人はいなかったため、
この発表を聞いた多くの国民が驚き、感傷的になりました。

ベアトリクス女王は、先代女王が国民の母的存在であったのとは対照的に、ビジ
ネスウーマン然とした、良い意味で実にプロフェッショナルな女王でした。王室
が自国産業の海外進出に重要な役割を果たす今の時代には、まさに理想的な存在
だったと言えるでしょう。即位当初は、「よそよそしい」「真面目すぎる」など
と言われて、記憶が正しければ支持率は30%代と低めでしたが、その後30年以上
にわたって上昇の一途をたどり、威厳と気品の中にも親しみのある人物として、
2012年にはなんと81%の支持率を得ています。

それも彼女が、王室と国民の距離を縮める努力を惜しまず(女王誕生日に国民と
ふれあう機会を設けたり、各種チャリティ活動で市井の人に混じって労働奉仕す
るなど)、国の外交と産業を守り立てる重要な公務を、ひとつひとつ着実にこな
してこられた努力の賜と思います。オランダという、九州ほどの国土しかない小
さな国が、常に世界の表舞台で活躍してきた陰には、女王をはじめとする王室一
家の尽力があったのです。

王位交代の様子やそれにまつわる諸々の出来事、そして新国王については、でき
れば次回のオランダ編でまとめてご報告したいと思います。


■アムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)のグランドオープン!
https://www.rijksmuseum.nl/nl/nu-in-het-museum/gebouw-en-presentatie

オランダが世界に誇る美術品の宝庫、国立美術館。レンブラントの大作「夜警」
を収蔵することでも知られるこの美術館が、10年にわたる大改修工事を終えて、
今年4月13日、ベアトリクス女王によるオープニングセレモニーがありました。
しかも初日は、午後12時から深夜12時まで完全無料開放という、非常に粋な計ら
いもあり、旅行者はもちろん、地元や国内各地からも大勢が詰めかけ、夜9時に
なっても、雨のなか数百人が1時間~1時間半の入場待ちをしたそうです。夜に
「夜警」を鑑賞するという、通常では願っても叶わない特別なひとときを過ごす
ためなら、それも良い思い出になるでしょう。

延長に延長を重ねた大改修工事だっただけに、グランドオープンを待ちわびてい
たのは、他ならぬ美術館関係者だったと思いますが(笑)、もちろん、展示品を
提供した人たちや一般の芸術ファンも、首を長―くして待っていました。Eチケ
ットの発売が開始されるなり、一日で8万枚売れたというのだから、その人気の
高さがうかがえます。

話題には事欠かない新美術館ですが、特に設備面で多々の工夫が凝らされていま
す。例えば、展示室には天窓が多用されており、開放感のある空間で名作が楽し
めます。また、館内のスポットや天井照明にLEDランプが使われているため、作
品のコントラストや立体感が引き立ち、色調や細部が、従来よりはっきり鑑賞で
きるそうです。しかも、LEDランプは作品の劣化をもたらす熱線や紫外線を出さ
ないため、作品にも優しい。そのLEDランプを合計75万個納入したのが、オラン
ダ家電メーカー・フィリップスだと言うのだから、実に1石3鳥です。

よりよい鑑賞体験を提供する、というコンセプトで採用されたもう一つの工夫
が、展示室の壁の色です。美術館というと、思い浮かぶのは真っ白な壁ですが、
国立美術館の壁はチャコールグレー。言われてみれば当然なのですが、壁の色が
暗いと眼に入る光量が減るため、瞳孔が開き、絵画に使われている暗い色調をよ
り良く認識することができて、絵画を細部まで楽しめるのです。

館内に併設されたカウパース図書館は、内装が復元されて趣ある佇まいを見せて
いますが、かつては関係者のみが利用できた特別な施設でした。それが、グラン
ドオープンを機に、一般入場者にも開放されています。例えば、レンブラントの
習作のスケッチを手にとって見ることができたりします。もちろん、そういった
極めて価値の高い資料であれば、閲覧時に白手袋の着用が義務づけられます。一
般客の閲覧による「不慮の事故」も心配されますが、貴重な資料も一般公開しよ
うという、美術館側の心意気に敬意を表したいと思います。

展示品の年代は、フロアを上の階へと進むにつれて、現代に近づいていきます。
19世紀のフロアには、出島にまつわる作品も展示されています。注目に値するの
が、石崎融思が絹のキャンバスに描いた、オランダ人商館長一家の肖像画です。
当時、オランダ人が出島に女性を連れてくることは固く禁じられていましたが、
1817年に再赴任した商館長は、1歳の息子と妻、乳母を連れて上陸します。長崎
奉行が許可したことで、妻と乳母も出島での生活をはじめますが、将軍の滞在許
可は得ることが叶わず、息子とともに5ヶ月後には日本を離れました。

妻の名はティツィアといい、日本で暮らした初めての西洋人女性です。西洋人女
性を見たことのない日本ちにとって、彼女の巻き毛は特に印象的で、日本の画家
たちは彼女のスケッチを多数描きました。ティツィアが帰国した後も、版画や日
用品に肖像が描かれ続け、現在までに500万点もの日本の品が、巻き毛と赤い首
飾りの彼女の肖像で飾られています。ティツィアの親戚にあたるオランダ人男性
は、日本を訪れるなどして、ティツィアにまつわる品を収集し続けており、その
コレクションも、展示品として提供されています。

20世紀のフロアで避けて通れないのは、第二次世界大戦当時の展示品です。オラ
ンダ各地でも、第二次大戦中に多数のユダヤ系市民が連行されたため、強制収容
所にまつわる品もあります。自分の母が収容所で着せられていた、縞柄の上着を
寄付した女性が語ります。

「私の母は、家族全員で連れ去られたのち、一人生き残ってオランダに戻りまし
た。2010年に他界した後、母の遺品を整理していたら、大切にビニール袋に包ま
れたこの上着が、タンスの奥から出てきたのです。母が上着を保管していること
は知っていましたが、家族の暗い歴史を象徴する存在であり、恐怖感もあったの
で、それまでは触れようとも思いませんでした。母は強制収容所での経験を一言
も娘の私に話そうとしませんでした。でも、映画「シンドラーのリスト」が公開
されたとき、父が珍しく、一緒に見に行こうと言ったのです。映画を見て、よう
やく父と母の経験を知りました。後にも先にも、父が涙を流している姿をみたの
はあのときだけです。

また母は、自分の経験を執筆した本を出していました。かなり分厚い本で、それ
を読むように娘の私にも何度かいいました。でも、まだ若かった私は、なんだか
んだと言い訳をつけて、読もうとしませんでした。自分はなんてひどい娘だった
のだろうと、いまだに悔やまれてなりません」

母の上着が、こうしてしかるべき場所に展示・保管されることは、彼女にとって
の母への供養でもありました。この上着がいよいよ展示される日、彼女と夫、子
供達は、美術館の招きを受けて、その場に立ち会うことができました。白い展示
台に広げられた上着に再び対面し、彼女は「ふれてもいいですか?」と断って、
上着の裾に、そっと愛しそうに触れました。そして、上着はガラスケースに納め
られ、壁に掛けられました。

国立美術館というと、レンブラントやフェルメール、フランス・ハルスといった
17世紀の画家の作品に注目が集まりがちですが、訪れていただく機会がありまし
たら、ぜひ時間をとって、上の階まで足を運んでいただきたいと思います。


■ゴッホ生誕160周年、ゴッホ美術館開館40周年
http://www.hollandflanders.jp/wp/markt/?p=273

国立美術館と並んで、圧倒的人気を誇るオランダの美術館と言えば、ゴッホ美術
館です。昨年9月から改修工事のため休館していましたが、その間は、同じくア
ムステルダムのエルミタージュ別館で、ゴッホ美術館の主な作品が公開されてい
ました。いよいよ、5月2日にリニューアルオープンです!

ゴッホにとっても記念すべき2013年は、国内ドラマシリーズ「フィンセントの
家」で幕を開けました。容姿と実力を備えたオランダ屈指の映画俳優、バリー・
アツマ(Barry Atsma)が、髪を赤く染めてゴッホ役を演じています。
http://www.eo.nl/tv/van-gogh-een-huis-voor-vincent/nieuws-detail/artikel/barry-atsma-vincent-van-gogh/

ストーリーは、画家フィンセント・ファン・ゴッホが生きた1800年代後半と、彼
の甥(弟テオの息子)であるフィンセント・ウィレムの晩年(1950年代以降)の
2つの時代を行き来します。非常に興味深かったのは、後にゴッホ財団設立者と
なる甥が、両親から相続したゴッホ・コレクションを当初は心底嫌悪していたと
いう事実です。ゴッホ一族を混乱させ惑わせた、忌々しい『狂気の伯父』が描き
ためた作品群は、彼の生活空間をも占有し、彼の苛立ちはピークに達します。そ
して、ゴッホ・コレクションを愛していた妻に内緒で、パリの美術館にまとめて
売り払う段取りをつけていました。

しかし、それに気づいた妻は、夫の「パリ出張」に強引に同行します。道中は妻
が主導権を握り、二人は妻の望むまま、ゴッホゆかりの地を訪ねて回ります。彼
はその間に、『狂気の伯父』が、まだ物心つかない幼い自分をこの上なく愛して
いたことを知ります。

そして、いよいよ商談の地パリへ向かおうというとき、田舎道で車が故障して立
ち往生します。数キロ歩いてたどり着いたのは、アルルの病院でした。ゴッホが
耳たぶを切り落として収容された病院です。他に行き場のない二人は、病院の一
室で一夜を明かします。ふと目を覚ましたフィンセント・ウィレムは、枕元に
伯父の姿を見ます。頭に包帯を巻いた、しかしとても穏やかな笑みをたたえたゴ
ッホの姿でした。

このとき、彼ははじめて、伯父を身近な存在として感じることができたのです。
そして、長年にわたるわだかまりから解放されます。パリの美術館との商談も、
破棄することを決めました。オランダに戻った彼は、コレクションをまとめて展
示できる美術館の構想を練り、現在のゴッホ美術館へとつながっていきます。

もちろんこれはドラマの筋書きですので、脚色はあるでしょうが、45分ほどで4
話完結というとても短いシリーズで2つの物語が同時進行しますので、話を膨ら
ましすぎていることはないだろうと思います。

諸説あるゴッホの生涯についても、主だった出来事を中心に速いテンポで展開し
ていくため、仮説に基づいて多くを補うことはされていません。耳たぶを切り落
とすエピソードは、ゴッホ自身の行為として描かれており、拳銃事件の顛末につ
いては、ゴッホの絵のモデルにもなったオーヴェルの旅館の娘に「よそ者であっ
た彼が自殺を図ったことにしておくのが最善だった」と語らせています。銃創は
致命傷ではなく、駆けつけた弟のテオは、手術をすれば助かるかもしれないと訴
えますが、ゴッホは「自分がいることで父にも迷惑をかけてしまったし、お前に
も負担をかけてしまった」と言って治療を拒み、最期を迎えます。


歴史に「もしも」はありませんが、フィンセント・ウィレムの妻が、彼の不在時
にパリの美術館からの電話を受けていなければ、秘密の商談に気づくこともな
く、ひいては、アムステルダムにゴッホ美術館が誕生することもなかっただろう
と思います。今度、新しく生まれ変わったゴッホ美術館を訪れていただくときに、
そんな話があったことを、少し思い出していただければ幸いです。


あめでお


♪感想メール、お待ちしております♪
beraboamedeo*hotmail.com(お手数ですが*を@に置き換えてご利用ください)


◇◆次回4月30日(火)は、ルーマニア・ブカレストから初配信です◇◆
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【北米・オセアニア編】【中南米・アフリカ編】【アジア編】
          【出戻り邦人】もよろしくね

         ◇◇◇詳細は下記のHPで◇◇◇
         http://www.geocities.jp/detahome/
       各種問い合わせ先:detahou@hotmail.co.jp

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電子出版 :出たっきり邦人【欧州編】<まぐまぐID:0000023690>
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