行政・政治・地域情報ニュース

行政・政治・地域情報ニュースのメルマガをWEBでご覧になれます。情報収集にどうぞ。

【出たっきり邦人 欧州編】1183 イギリス

【出たっきり邦人 欧州編】1183 イギリス

∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
□■□■□                         □■□■□
■□■□■   出たっきり邦人・欧州編・2013・5・14・1183   ■□■□■
□■□■□                         □■□■□
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
           
              ◇◆乙編◇◆
        
            〓イギリス・ケント発〓

            『万華鏡』 第103回 

             <鉄の女の教え>

去る4月8日、英国元首相であったマーガレット・サッチャー女史が脳卒中
のため、滞在先のリッツ・ホテルで亡くなりました。享年87歳でした。

私が渡英した1984年当時の首相であったサッチャーさん。10年前に愛する
旦那様を失ってから元気がなくなり、色々な病状の話がメディアで流れていま
したが、訃報を耳にしたとき、もちろん悲しみましたが、再び愛する旦那様と
合流されたことに、ホッとする気持ちも私にはありました。

4月8日は私たちの結婚記念日でもありました。結婚渡英してちょうど29年。
主人が敬愛するサッチャーさんがこの日に逝去したこと、偶然とはいえ、私は
結婚、そして夫婦のあり方について、様々なメディアに接しながら考えていた
のでした。

不安と期待が混ざった感情を持って関西伊丹空港を発ち、香港、そしてバーレ
ーン経由でロンドン・ガトウィック空港に到着した若かりし日の私。死ぬ覚悟
で行け!という父の言葉が新婚の私の頭の中を何度も横切りました。イギリス
上陸間近、キャビン内のスクリーンにイギリスのニュースが放映され、真っ先
にアーサー・スカーギル氏の顔、続いてサッチャーさんの顔が映っていたのを
はっきり覚えています。あっ、サッチャーさんだ、本当にイギリスまで来てし
まったのだと実感した瞬間でした。

当時は全く意味が分からなかったのですが、それは炭坑労働者組合とサッチャ
ーさんの対決時期だったのです。先のフォークランド戦争で勝利を収めたもの
の、国家建て直しのための荒治療をサッチャーさんは実行していたのでした。

衰退の道をたどり、斜陽国と揶揄されていた英国を、鉄の意志で持って国家を
改革していった偉大な政治家。もちろん多くの敵も作り、彼女が憎いと思う国
民もたくさんいます。荒治療でしたから、犠牲になったものも多く、憎悪が個
人的な感情に基づくようになっても仕方ないと感じます。

しかし、彼女の英国に対する愛国心は揺るぎないものであったことは、誰もが
認めるところです。国際舞台でも大活躍し、英国に再び栄光をもたらしたので
した。あの時代はサッチャーさん、レーガンさん、それに法王パウロ2世が作
り上げたもので、それによって実にたくさんの庶民の生活が向上したとさえ言
われています。

「斜陽国」に嫁ぐのを心配した父も、三年後にはイギリスを訪れ、孫に初めて
会って喜んでいましたが、それ以上に、私がこの「斜陽国」で板についた生活
をしていることに非常に安心したのでした。

イギリスが「斜陽国」から脱出できたのも、サッチャーさんのおかげだったの
です。当時はただ必死に生活をしていただけでしたが、思えば、様々な国営企
業が民営化されるたび、少額の貯金を下ろして株を買っていました。「小さな
政府」をモットーに、国民がもっと自分の足で立ち、自力に頼るように促せ、
そして自由で色んなチャンスと選択肢を与えるために、主婦の感覚を保持しな
がらサッチャーさんは英国を治めたのでした。

結婚初期にいた私は、このサッチャーさんの哲学からの影響を受けていたと今
気づいています。自分への自信が弱く、劣等感もたくさんあった私がイギリス
で強くなったのも、潜在意識の中にサッチャーさんの姿と教えがあったからだ
と今は感じるのです。

彼女の鉄の意志は幼少の頃から芽を出していました。中流階級とはいえ、非常
に敬虔なクリスチャン一家で、商売上手だが守銭奴的な父親、それに向上的で
ない母親の下で育ち、何も不自由はありませんでしたが、彼女からすれば、そ
れは息の詰まる環境であり、そこから脱したい強い意志が彼女にはあったので
した。三つ子の魂百まで、彼女の鉄の意志は最後まで貫かれます。

ティーンになる前からエロキューションのレッスンを受けていたとのことで、
早い時期から地元グランサムのアクセントを取りたかったようです。サッチャ
ーさんの話す英語にはいつもうっとりしていましたが、そうだったのか、と今
は納得しています。

頭脳明晰だったので、グラマースクールへ進み、クラス内でよく手を挙げる優
等生でいました。そこからオックスフォード大学に進みましたが、これといっ
た親しい友人を持つことはなかったそうです。女性であっても、やはり一風変
わっていたのかもしれません。しかし、他と変わっていたからこそ、偉大な政
治家になることができたのも事実でしょう。

政治が自分に一番向いていると悟ってから保守党へ入党し、総選挙で私の住む
ケント州のダートフォードという町で立候補しました。1950年のことです。
政敵労働党の強力基盤地域であったダートフォード市、もちろんサッチャー
さんは当選しませんでした。しかし、それは始まりであり、そこでサッチャー
さんは後に旦那様となられるデニスさんにも出会ったのでした。

資産家でもあったデニスさんのおかげで、サッチャーさんは保守党内で頭角を
現すようになっていきました。野党としての党首に当選し、やがて英国初の女
性首相になり、1990年の退陣まで、睡眠時間は4時間と豪語するほど、繁忙な
日々を過ごしていましたが、「デニスがいたからできた」とサッチャーさんは
何度も話されていました。

政治家を妻に持つ夫、首相を母親に持つ子供たち、サッチャーさんのご家族に
とっては、私たち凡人には想像できないご苦労がたくさんあったと思います。
特に娘さんは母親とかなり衝突したようです。しかし、娘さん自身も加齢した
今、難しい母親でも、母親を失った哀しみにむせび泣いていることでしょう。

息子さん夫婦からお孫さんが生まれ、祖母になったサッチャーさんは大変喜ん
でおられた様子がニュースで報じられていました。娘さんより息子さんのほう
を贔屓に扱っていたことはよく知られています。首相の立場を利用して、息子
さんに利を図ることもあったようですが、手のかかる息子はいくつになっても
可愛いのかもしれません。サッチャーさんも母親だったのです。

「デニスがいたからできた」、そう語るサッチャーさんを妻に持ったデニスさ
ん、いつもニコニコとして妻の側に立っていました。秘訣は何ですか、という
ジャーナリストたちの質問に、「そこにいて、そこにいない」とデニスさんは
答えましたが、妻が政治家・首相として活躍できるように、陰になり日向にな
りして、何十年もサポートし続けたのでした。なかなかできないことだと思い
ます。

サッチャーさんをウェストミンスター寺院に埋葬すべきと唱えていた人もたく
さんいましたが、遺言通り、サッチャーさんはデニスさんの側で永眠すること
になりました。首相官邸ダウニング・ストリート10番地で繁忙な生活を送っ
ていたころ、一日の終わりにデニスさんはウィスキーを注いで、妻の疲れを癒
していたそうですが、きっと今は天国でお二人でウィスキーのグラスを交わせ
て、地球で体験したことを語っているかもしれません。

20数年前と比べ、確かに私たち庶民の生活の質は向上し、様々なチャンスに
溢れています。技術が進展しているからですが、そんな技術の開発や市場での
販売など、すべてをまとめるのが政治家の仕事ですね。政治家は楽な仕事では
ないですが、導いた末の技術進展は、他の問題も孕むものです。

サッチャーさんの訃報が飛び交った後、歓喜で迎えた人々の態度には驚きまし
た。情報が瞬時で広まる現代、そして誰もが自分の意見をツィッターやフェー
スブックを始めとするソーシャルサイトで述べられるため、もう逝去されたの
に、延々とサッチャーさんの悪口をたたいたり、その死を喜ぶ無神経さに、多
くの人も辟易していました。

イギリスでも、De mortuis nil nisi bonum (ラテン語で死者の悪口は言わ
ない)という礼儀があります。道徳観が下がっている昨今とはいえ、ここま
でイギリス人も落ちぶれたのか、という嘆きの声も高く聞こえました。

しかし、サッチャーさん本人はどう思ったでしょう。現首相キャメロン氏への
最後のメッセージは、「もっと嫌われなさい」だったそうです。総選挙に三度
勝利し、11年という最長の首相を務めたサッチャーさんは、自分の政策が日
の目を見るためには、大いに嫌われることが必要だと捉えていたそうです。
大物の考えることは違うものです。

マザー・テレサが言っていましたね。愛の反対は憎しみではなく、無関心であ
ると。憎しみも立派な感情。暗殺されかかったことがあっても、自分の信念を
貫きとおした鉄の女にとって、憎しみもまた、自分への関心だったと捉えてい
たのではないかと思います。

ロングランのミュージカル『ビリー・エリオット』は、1984年当時の炭坑労
働者組合とサッチャーさんの対決を背景に描いた作品で、その中でサッチャー
さんを大いに罵倒しています。皮肉った歌にもなっています。名誉毀損など
狭苦しい感覚はなく、生前からそれを許していたサッチャーさんの寛大さに
今更脱帽するのです。

だから、彼女の死を巡って喜ぶ態度も、彼女からすれば、「ホホォ、またやっ
てるか」という程度のものかもしれないと感じるのです。しかし、そんな人
たちはやはりマイノリティであり、葬儀には何の影響も及ぼしませんでした。

サッチャーさんが逝ってから、あのヘアスタイルが流行っているそうです。パ
ワーアップした気分になるということですが、カリスマ性いっぱいのサッチャ
ーさんはフェミニズムには興味なくても、フェミニンでした。髪はデニスさん
が好きなブロンドに染め、必ずスカートを着用していました。話上手で機知に
富み、多くの女性が憧れるのも無理ありません。

私も彼女に憧れていました。外見ではなく、先に述べた彼女の哲学、美しい英
語、鉄の意志、そして対等者には厳しいが、下で仕える人々には非常に暖かく
て優しい面。

このたびの訃報を通じて、私の息子・娘たちも、斜陽国時代の70年代を体験
した主人から様々なエピソードを聞くことができ、私を喜ばせました。親子間
の真剣な会話はいいものです。そして、夫婦間のサポート、労り、そういった
ことも、サッチャーさん夫婦の様々な逸話を読む中で、大切にし続けていきた
いと感じました。

サッチャーさん自身、国を救ったなどと思っておらず、ただ自分の愛国心を鉄
の意志で実践しただけで、そんなチャンスを与えられたことに満足しているの
ではないかなと感じます。長くて有意義、貢献度も高い人生を歩まれたマギー、
どうぞ安らかにお眠りください。

プリマ

『万華鏡』へのご意見・ご感想はkentprima@hotmail.comまでお寄せ下さい。

◇◆次回は5月21日(火)フランス・パリ郊外から配信予定です◇◆
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 
【北米・オセアニア編】【中南米・アフリカ編】【アジア編】
          【出戻り邦人】もよろしくね 

               ◇◇◇詳細は下記のHPで◇◇◇ 
              http://www.geocities.jp/detahome/
        各種問い合わせ先:detahou@hotmail.co.jp
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
電子出版 :出たっきり邦人【欧州編】<まぐまぐID:0000023690> 
発行協力 :まぐまぐ http://www.mag2.com/
      
発行責任者:欧州編ライター一同 連絡先:oushuhen@hotmail.com
H P  :http://www.geocities.jp/detahome/
BBS  :http://www.geocities.jp/detahome/
登録・解除:http://www.geocities.jp/detahome/
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥