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■Weekly Mail Journal■2013/5/8 No.683

■Weekly Mail Journal■2013/5/8 No.683

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  2013/5/8   No.683   週刊メールジャーナル   読者数9622(前回)
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【お断り】
前号に引き続き、4月14日に逝去された『現代産業情報』発行人・石原俊介氏の
追悼記事を、同誌4月15日付最終号より転載します。筆者は、前号「謹告」同様、
石原氏の盟友である伊藤博敏氏(ジャーナリスト)です。

●石原俊介氏とその時代
(会員制経済情報誌『現代産業情報』4月15日・最終号より転載)

昭和は、「暴力団・総会屋」といったグレーゾーンと、「同和・在日」といっ
たタブーが、色濃く残っている時代でした。

本来、「表」と「裏」は、峻別すべきでしょうが、切り離す気運が盛り上がら
ないまま、日本はバブル時代を迎え、渾然一体の混乱に突入します。

許永中、伊藤寿永光といった企業舎弟が跋扈、小谷光浩、池田保次といった仕
手が上場企業の乗っ取りを仕掛け、山口組の後藤忠政、稲川会の石井進といっ
た“本チャン”の暴力団幹部が、大手を振って企業活動を始めました。

そんな時代が来ようとは、誰も思っておらず、捜査当局は「民事不介入」のカ
ベに阻まれ、大企業とマスコミは、対処方法がわからずに立ちすくんでいまし
た。

石原氏は、そこに切り込んでいきます。

もちろん単独ではなく、『現代産業情報』に出入りする記者や執筆陣が、「ブ
ラック」や「グレー」の正体を突き止め、天日干しにしました。

「闇を切り裂いた」といってもいいでしょう。

石原氏が「司令塔」となることができたのは、住吉会という広域暴力団への深
い人脈をもとに、暴力団そのものの生態はもとより、住吉会系の右翼、総会屋、
仕手、企業舎弟、興行師、地上げ屋、街金といったグレーゾーンを知悉してい
たからです。

住吉会に比べれば、山口組や稲川会といった組織にはそれほど食い込んでいた
わけではありませんが、応用はききます。

人脈解剖はもとより、どこまで突っ込み、どこまで書けるのか。グレーゾーン
を取材する際の勘どころを、出入りの記者は石原氏のもとで学び、企業は総務
や広報が窓口となって、対処の仕方を相談しました。

バブル時代の事件は、すべてもれなく記事化しているといっていいでしょう。

旧住友銀行はイトマンを足場にした連中に食い込まれ、旧興銀は尾上縫という
料亭の女将を育て、旧長銀は、「若きタイクーン(大君)」と呼ばれた高橋治
則に、1兆円を突っ込みました。

住専は「西の末野(謙一)、東の佐佐木(吉之助)」という怪物を生み、旧四
大証券は、小池隆一という一介の総会屋に利益供与をしていた罪で、経営幹部
が一掃されました。

みんなが狂っていたのです。

この頃までは、グレーゾーンを排除する法的な整備はできておらず、受け入れ
る側にも「時が解決する」「隣がつきあっている(融資している)」からウチ
も」という脇の甘さがありました。

そこをうまく突かれ、総会屋、右翼、仕事師、企業舎弟に入り込まれ、「請求
書は出しても領収書は出さない」という彼らとのつきあいが、ズルズルと続い
ていまったのです。

石原氏には微妙な立ち位置もありました。基本は、隠蔽をこじ開けることでし
た。歪んだ構造、危うい人脈といった問題を白日のもとにさらし、疑惑を事件
関係者に突き付け、暴いていきました。

ただ、情報誌発行人として、スポンサーとの関係は大切にしなければなりませ
ん。

そのバランス感覚は絶妙でした。

「石原俊介を囲む会」は、「4人会」のような小規模で行なわれ、文春、新潮、
ポスト、現代といった総合週刊誌の編集幹部、大手マスコミ記者、ノンフィク
ション作家たちなどが、キラ星のごとく集まっており、そこに大企業広報が混
じることもありました。

人選は、石原氏の独断で決まっていましたが、性格や人間関係を配慮の上、ほ
どよくピックアップされ、石原氏の“庭”である銀座でまず食事、その後は3~
4軒のクラブをはしごするというパターン。

2カ月に1度ほどのその会を、楽しみにしていた人は少なくなく、それを常時、
こなしている石原氏の根気と体力には驚嘆させられました。

それ以上の驚きは、マスコミが石原氏を信頼、代替わりをしても、つきあいを
続けたことです。

そこには、マスコミに強いことが、スポンサーの“売り”になるという石原氏
なりの計算もあったのですが、その思惑を考慮してなお、マスコミサイドに、
石原氏と親しくしておきたいと思わせる情報と、人間的魅力があったのです。

本当にマレではありますが、石原氏がスポンサーサイドに立った“申し入れ”
をすることがありました。

ただ、決して無理強いはせず、双方の顔を立てるという絶妙なバランス感覚で
処理、それは職人芸でした。

バブル崩壊後の処理に、日本は経済的にも捜査的にも10年以上の歳月を要しま
した。

検察・警察当局が、リクルート、イトマン、東京佐川、ゼネコン談合、富士・
東海、住専、證券スキャンダルと、バブルを生んだ金融の歪みや政官業の癒着
を叩く間に、金融機関は不良政権の処理に走り、企業はひたすらバランスシー
トの改善に務めました。

ネットの起業家が輩出され、彼らを育てる新興市場の創設で、ようやくバブル
崩壊の沈滞ムードを脱する90年代後半までに、情報交差点として、石原氏は誰
からも頼られる存在になりました。

グレーゾーンの案内人としての役割は変わらず、年齢とともに円熟味が加わり
ました。

ただ、その頃からネットの普及が情報に質的変化をもたらし始めます。これは、
全マスコミに及ぶもので、『現代産業情報』に固有の現象というわけではあり
ませんが、情報交差点にいる「案内人」の独自性、希少価値が、失われつつあ
ったのは事実です。

時代は変化します。

朝鮮総連中央本部の不正入札事件の摘発、同和対策事業特別措置法の終了と、
それに合わせたような食肉のドン、浅田満の逮捕などに象徴されるように、
「在日」「同和」といったタブーが失われていきました。

その流れは、91年に施行された暴力団対策法以降、警察権力が、地方自治体や
金融機関と一体となり、暴力団を表社会から排除していった過程と似ています。

11年10月に全国施行された暴排条例によって、暴力団構成員と周辺者は、一般
社会との接触すら禁じられます。

ネット社会の到来で、質はともかく、量的には十分、情報が取れるようになっ
たこと、大企業とマスコミが石原氏に期待した「解明すべきグレーゾーン」の
撤去が始まったこと。

この2点は、石原氏のビジネスモデルに変換を求めるものでした。

ただ、変化の胎動が始まった2004年3月12日、石原氏は「500号記念パーティー」
を、東京會舘で開き、300人以上を集めて、「最後の情報誌」の健在をアピール
します。

このパーティーの面白さは、企業の広報・総務担当者、マスコミ関係者に、内
閣調査室、ヤメ検、警視庁捜査関係者などが、広域暴力団幹部、右翼主宰者、
大物事件屋などと、同じ空間に集まったことです。

「石原人脈の幅広さ」を見せ付けたわけですが、「田原総一朗山口組懇談会」
が、警察の圧力でつぶされる今となっては。もう、同種のパーティーは、望む
べくもありません。

石原氏は、「先読み」のできる人でした。豊富な読書量、知識、経験則に従っ
て、時代の流れを着実に読んでいました。

それが元共産党員の“尻尾”なのか、ヒューマンな意味で公平性と平等を常に
意識しており、でも新自由主義的な切磋琢磨も求めていました。

共感を寄せていた政治家は小沢一郎で、彼を追い詰め、首相となる芽を奪った
地検特捜部と反小沢的なマスコミ人に批判的でした。

その延長線上にあるのか、アメリカの独善を嫌い、中国を批判しつつも中国と
の関係を大切にしていました。

そうした自らの国家観、経済観、社会観に、十分すぎるほどの誇りを持ってお
り、ビジネスモデルの変化を求められるという環境を理解しつつ、柔軟に変化
を続け、振興市場のオーナー経営者、新銀行設立者、ファンド主宰者といった
新規顧客も開拓していました。

本人は意識していなかったでしょうが、小沢一郎がよく口にするヴィスコンテ
ィ監督の映画『山猫』の次のセリフを、石原氏は実行していたのです。

「変わらずに生きてゆくためには、自ら変わらなくてはならない」

告別式の最後の挨拶で、長男・茂樹氏が「悔いのない人生だったと思います」
と、述べました。

もちろん、71歳はあまりにに早く、石原氏に心残りがないといえばウソになる
でしょうが、「悔いのない人生」という言葉は、石原氏を知る人なら、誰もが
納得して聞いたことと思います。

なくなる直前まで『現代産業情報の発行にこだわった石原氏は、健在ならこの
先も生涯現役を貫き、「今、そこのある危機」に警告を発し続けたハズです。

その言葉を、これからも聞きたいのは、私だけではないでしょう。
                                 合掌


【お知らせ】

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★トライして、たしかめよう、社内報の力!★

 社内誌、Web社内報、周年誌、記念誌編集者のみなさん、
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 2012年4月~2013年3月までの企画を応募いただき、優秀な作品を表彰する
 ものです。1つの企画に対し、3人の専門家がていねいに審査し、審査講
 評を結果とともにみなさまにお送りしております。
 
 社内誌・広報誌を担当されるみなさまの成果を発表する場として、また
 社内誌・広報誌のレベルアップにご活用ください。みなさまのご応募を
 お待ちしています。

 応募締め切りは5月10日(金)です。

 今年初めて参加したい方、いつもDMが届かない方はご連絡いただければ
 応募要項を郵送いたします。大変お手数ですが、下記までご連絡ください。

 または以下のコミサポネットの「社内報の企画コンクール」で応募要項・
 応募申込書・企画応募用紙が取り出せます。
 ⇒http://www.commu-suppo.net/

 ご連絡先:ナナ総合コミュニケーション研究所
 社内誌企画コンペティション事務局
 富加見(ふかみ)まで
 TEL:03-5312-7471
 E-Mail:fukami@nana-cc.com


■社内広報サロン 第42回(東京)を開催■(案内) 

テーマ「業種別サロン・社内報制作の悩みをシェアし、ヒントをもらおう!」

参加された皆様におおまかな業種別のグループに分かれていただき、それぞれ
の社内報の役割や年間企画の情報交換、業種ならでは企画立案の悩みなどを共
有します。アドバイザーからの事例や、他社の方の取り組みをうかがい、今後
の社内報制作や企画に生かすとともに、ネットワークを広げましょう。

開催日:5月24日(金)

時間:18:30~20:45 (受付18:15~)

開催場所:ナナ・コーポレート・コミュニケーション
   新宿区新宿1-26-6 加藤ビルディング5F

参加費:2,000円/1名 募集人数:20名(先着順)

お申し込み先:コミサポネットからお申し込みください。
⇒http://www.commu-suppo.net/

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 週刊メールジャーナル 2013年5月8日  第683号(水曜日発行)
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    編集発行人:川崎 明 / 発行所:メールジャーナル社
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